人類の至宝、ブルックナー第9交響曲の魅力と未完のフィナーレ問題を紐解く!

名曲紹介

クラシック音楽には演奏するのに1時間もかかるような壮大な音楽を作るのが得意な作曲家がいて、その中でもマーラーとブルックナーって人たちがすごく有名なんだ。今日はそのブルックナーの最高傑作、「第9交響曲」の魅力について話そうと思う!

まずね、ブルックナーっていうのは19世紀に活躍したオーストリアの作曲家なんだ。彼の音楽は、めっちゃ大規模で、聴いてると自然や宇宙の壮大さを感じるような音楽なんだよ。第9交響曲は、彼が亡くなる直前に作った曲で、彼の生涯の集大成みたいな作品なんだ。

この交響曲がすごいのは、まずその音の広がりと深み。オーケストラが奏でる音が、まるで大きな空間を埋め尽くすように広がっていくんだ。それに、ブルックナーの音楽は、どこか神秘的で、天地創造を音で描いたようなスケール感で、聴いてると不思議な感覚に包まれるんだよ。

まさに人類の至宝! 第9交響曲の魅力

この曲、実はブルックナーが人生の最後に取り組んだ大作なんだ。1896年に彼が亡くなった時、3楽章までしか完成できなかったんだけど、それでもその3楽章だけで、ものすごく深くて、感動的な音楽が広がっているんだよ。

ブルックナーは1887年にこの曲を作り始めたんだ。彼はこの曲で、大先輩のベートーヴェンが使った「ニ短調」という調を選んだんだけど、それは彼にとって大きな決意だったんだよ。音楽の中には「愛する神に」という想いが込められているんだ。

でもね、彼は他の曲の改訂にも時間を取られていて、第9交響曲に集中できない時期もあったんだ。結局、全曲を完成させることはできなかったんだけど、残された3楽章だけで約64分もの大作になってるんだよ。

そしてね、第4楽章の草稿が残っていて、それに基づいて完成させようという試みもされてるんだ。もし全部演奏すると、約90分の大長編になるんだよ。

それぞれの楽章がとってもユニークなんだ。第1楽章は「荘重に、神秘的に」という感じで、ゆっくりとした雄大な展開があるんだ。第2楽章のスケルツォはもっと軽快で、「トリスタン和音」と呼ばれている和音の変形が使われていてちょっと不思議な響きがあるんだよ。そして、第3楽章のアダージョは本当に美しい。抒情的で、心に響く旋律があるんだ。

「未完のフィナーレ」を巡るドラマ

それでね、問題は最終楽章のフィナーレなんだ。第9交響曲のフィナーレやその完成版について、めちゃくちゃ面白いことがあるんだよ! 面白いのはね、ブルックナーのファンの間には「3楽章で十分」という意見の人たちもいるし、一方で未完成の部分を何とか完成させようとする人たちもいるんだ。まるで探偵みたいに、ブルックナーが亡くなった後に散逸した草稿を探して、補筆して完成させようとする試みが繰り返されてるんだ。

ブルックナーが亡くなった後、アメリカで見つかった草稿の一部が1999年に出版されたんだよ。その自筆楽譜は、ソナタ形式の再現部の第3主題で終わっているんだけど、ブルックナーが死期を感じて急いで作ったって説もあるし、自信がなくて別の作品の改訂に時間を使ったって説もあるんだ。

ブルックナー自身はこの3楽章だけで終わらせるつもりはなかったとされてるけど、現実にはフィナーレは完成していないから、ほとんどの場合、3楽章だけで演奏されるんだ。でも、彼の「終楽章が未完なら以前私が作曲した宗教曲『テ・デウム』を演奏して」という発言に基づいて、宗教曲『テ・デウム』と一緒に演奏されることもあるんだよ。

2002年のザルツブルク音楽祭では、有名な指揮者アーノンクールがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と一緒にフィリップス校訂版を使ってフィナーレの断片を演奏したんだ。

この楽章の音楽はね、めっちゃドラマティックで、始めは複雑な序奏から始まって、激しい第1主題、穏やかな第2主題、明るいホルンによる第3主題が続くんだ。そして展開部では、『テ・デウム』の基本音形に導かれて、再現部では第1主題が複雑な二重フーガになってどんどん盛り上がっていくんだよ。

「フィナーレ」を完成させる様々な試み

クラシック音楽にあまり興味がない人にも分かるように説明するとね、ブルックナーの第9交響曲っていうのは、映画で言うとすごい大作で、最後のシーンが未完成のままだったんだよ。それで、色んな監督たちがその最後のシーンをどう完成させるか、いろんな試みをしているんだ。「ダメ」といくらいわれてもやめられない、どうしてもこの壮大な音楽のクライマックスを聴いてみたいっていう「業」以外の何ものでもないよね。

例えば、キャラガン版っていうのは、1983年から1984年に作られたバージョンで、アメリカ交響楽団がニューヨークの有名なカーネギー・ホールで初めて演奏したんだよ。サマーレ=マッツーカ版は、1986年に完成して、エリアフ・インバルとゲンナジー・ロジェストヴェンスキーっていう指揮者によって録音されたんだ。

そして、SMPC版は、サマーレ、マッツーカ、フィリップス、コールスという4人が作ったもので、1990年にリンツ・ブルックナー管弦楽団によって録音されたんだ。このバージョンでは、最後のクライマックスでブルックナーが過去に作った他の曲のテーマと合唱曲「テ・デウム」のテーマが組み合わさっているんだよ。

シャラー版は、2016年に作られたもので、エーブラハの夏の音楽祭で初めて演奏されたんだ。このバージョンでは、ブルックナーが残した元の草稿をもとに、できるだけ未完成の部分を埋めようとしたんだよ。

他にも、メルツェンドルファー版や’Gravesande版、ファイン版、ルトカール版など、たくさんの異なるバージョンがあるんだ。それぞれのバージョンが、ブルックナーがどういう音楽を作ろうとしていたか、いろんな可能性を示してくれているんだよ。

だからね、クラシック音楽って言われてもピンとこない人でも、このブルックナーの第9交響曲の第4楽章の話は、まるで映画や小説のようにドラマチックで面白いんだよ。それぞれのバージョンには、その作り手の想像力や解釈が詰まっていて、聴いてみると新しい発見があるかもしれないよ!

音風の「推し」はルカトゥール補筆完成版!

僕の「押し」は断然、ハンガリーの作曲家でオルガニストのセバスチャン・ルトカール補筆完成版。ルトカールの補筆完成版のこと、めちゃくちゃ熱く語るよ!

ルトカール版っていうのはね、ブルックナーが残した未完成の楽章を、ルトカールっていう今の時代の作曲家が、どう完成させるかを試みたバージョンなんだよ。特にすごいのが、最後の部分、コーダっていうんだけど、これが本当に迫力があるんだ!

コーダは音楽の最後の部分で、このルトカール版ではね、第1楽章の最後の部分が反行系っていう方法で再び現れるんだ。反行系っていうのは、メロディーを逆にしたりする技法なんだけど、これがもう、映画で最後の大きなクライマックスシーンのような迫力があるんだよ。

想像してみてよ。すごく壮大な音楽が、まるで世界の終わりのように、力強く響き渡るんだ。これを聴くと、クラシック音楽の持つ、感動的で、どこか神秘的な魅力を感じられると思うんだ。

僕もね、このルトカール版がメジャーオーケストラで演奏されるのを本当に楽しみにしてるんだ。だって、これはただの補筆じゃないんだよ。ルトカールの才能がふんだんに盛り込まれていて、ブルックナーの未完の名作を新しい次元に引き上げてるんだから。

このコーダの部分なんてね、聴く人の心を強く揺さぶる力があるんだ。ブルックナーの音楽が好きな人にはもちろん、クラシック音楽をあまり聴かない人にも、この迫力を体験してほしいなって思うんだ。

だからね、メジャーオーケストラでの演奏が早く実現するといいなって、本当に願ってるんだ。この音楽が、もっと多くの人に届くことを心から願ってるよ。ブルックナーの9番、そしてルトカールの才能、どちらも本当にすごいんだから!

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