諸井三郎《交響曲第3番》の深い魅力 – 戦時の矛盾と晦渋さが紡ぐ物語

名曲紹介

どうも、音風ソナタだよ!今日は特別な話をしよう。近代日本を代表する傑作交響曲、諸井三郎(1903-1977)の《交響曲第3番》についてだ。この作品は1943年4月11日から1944年5月26日の戦時中に書かれた作品で、近年再評価が進んでいるんだ。その背後には様々な矛盾やドラマが隠れているんだよ。諸井三郎の交響曲第3番がどのように生まれ、その魅力は何か、を探っていこう!

諸井三郎と「近代の超克」:戦時の複雑な立場

まず、諸井三郎自身が戦前から戦中にかけて関わった「近代の超克」という有名な会議があるんだ。これは開戦直後に行われ、戦争遂行とファシズムを支持するものとして批判を受けてきた。そして、なんと諸井三郎もこの会議に参加していたんだ。

山田耕筰や信時潔のようにあからさまな戦争協力はなかった諸井だけど、彼なりに世界の中で日本が果たすべき役割を考えていたんだ。それが、今から見ると「戦争協力」として批判の対象になっているんだね。

だけど、その後の彼の代表作である交響曲第3番は、戦争を賛美するものではなく、むしろ「反戦」のメッセージを込めた作品として演奏されることもある。当時の諸井の立場は、まさに微妙なものだったんだろう。

諸井三郎が「近代の超克」に参加した背後には、当時の政治的な状況や社会的な圧力が影響していた。日中戦争や日本のアジア進出が進行中で、国内外で緊張が高まっていた時期だった。多くの芸術家や知識人も、政府の方針に従うか、あるいは反戦の立場をとるかという選択に直面していたんだ。

ところが、不思議なことに、交響曲第3番は暗い雰囲気や重々しい旋律を通じて、戦争の悲惨さや苦しみを表現している。そのため、現代では「反戦のシンボル」として演奏され、戦争への警鐘として聴衆に届けられることすらあるんだ。

日本を代表する交響曲は「武甲山を削ってつくったカネ」で生まれた⁉

また、諸井三郎の父は秩父セメントの創業者、諸井恒平だ。彼の家庭の経済力が、諸井三郎が作曲に専念できる環境を提供した可能性もある。秩父セメントは武甲山を削って、日本の都市開発や経済を支えた立役者だけど、「神の山」を削って日本の近代的な繁栄が支えられたことの是非は忘れられがちだよね。武甲山を削った金で日本を代表する交響曲ができたとは言い過ぎかもしれないけれど、これは矛盾に満ちた日本の近代文化を象徴しているように思えてならないんだ。

実家が経済的に裕福だったことも、彼が作曲に専念できる環境を提供し、独自の音楽スタイルを追求する余裕を持たせた要因の一つだったかもしれない。

このように、諸井三郎と彼の交響曲第3番は、時代背景や個人的な経験、思想との相互作用によって生まれた作品と言える。その矛盾とドラマが、今でも私たちに考えさせられる要因となっているんだね。

《交響曲第3番》の晦渋な魅力

初演は1950年、東京工業大学の学園祭で、山田一雄指揮、日本交響楽団によって行われたんだ。まさに日本の音楽の歴史に刻まれた瞬間だね。

楽器編成も見事なものさ。ピッコロから弦楽、そしてオルガンまでが織りなす壮大な音楽のカーテン。これが交響曲第3番の舞台だ!

さて、作品の内容だ。第1楽章、「静かなる序曲〜精神の誕生とその発展」。弦楽のどっしりとした音が始まり、オーボエの旋律が現れる。この楽章は独特のソナタ形式で構成され、金管楽器の効果的な使用が光るんだ。最後には金管楽器たちが主要動機を奏で、その響きはまさに燦然と輝いて終わるんだ!

そして、第2楽章、「諧謔について」。8分の5拍子の歪んだ行進曲が繰り広げられる。クラリネットが攻撃的な主題を奏で、楽器たちがそれを受け渡す。最後にはトランペットが強烈な叫びを上げる瞬間!まるで音楽の中で冒険が繰り広げられているようだ。

そして、第3楽章、「死についての諸観念」。アダージョ・トランクイロで始まり、オルガンとオーケストラが美しい旋律を奏でる。柴田南雄が「人類の祈りの歌」と呼んだこの旋律は、厚みを増し、金管楽器とオルガンによって荘厳に奏でられる。この楽章はまるで魂が昇華するような感覚を与えてくれる。

交響曲第3番は、諸井三郎の音楽の中でも特別な存在なんだ。その音楽の深さと力強さは、戦時中の状況や彼自身の思索が生み出したもの。この曲を聴くと、音楽が持つ魔法のような力を感じることができるんだよ。この音楽が私たちに教えてくれることは、きっとまだまだたくさんある。

諸井三郎の《交響曲第3番》が現代に問いかけるもの

諸井三郎、彼は音楽という芸術において、複雑な立場を抱えつつも、自身の信念を曲げずに作曲に臨んだんだね。彼の立場はあからさまな反体制ではなく、政治体制や実家のセメント稼業との折り合いをつけながらも、音楽に対しては妥協せずに自己の道を突き進んだと思われるんだ。

もちろん、その折り合いをつけた姿勢が褒められるべきものではないだろうね。重要なのは、彼は少なくても音楽においては決して自己弁護や正当化をすることなく、矛盾した自身の晦渋な内面を表現したということなんだ。

その結果、諸井三郎の音楽は矛盾を孕んだ晦渋なスタイルとなり、その中に彼の内面や時代の複雑さが反映されたんだね。彼の音楽は単なるメロディや旋律だけでなく、深い思索と情熱が織りなすものであり、その魅力はその晦渋さにも宿っていると思うんだ。

諸井三郎の交響曲第3番は、その魅力の象徴と言える。彼の音楽は矛盾や複雑さを受け入れ、それを美しい音楽に昇華させた結晶なんだよ。彼の作品を聴くことは、音楽の力がどれほど深いものかを感じる機会でもあるんだ。


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