カルクブレンナー:19世紀前半のピアノ界を彩った稀代のヴィルトゥオーゾのたまらない魅力

作曲家紹介

こんにちは、音風ソナタだよ!今日はね、ポストベートーヴェン時代のピアノ音楽について話そうと思うんだ。特に注目するのは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ミヒャエル・カルクブレンナー(1785- 1849)。彼は1785年にドイツで生まれたんだけど、イングランドやフランスで活躍したピアニストで作曲家なんだ。カルクブレンナーはね、ベートーヴェンが亡くなった後、一時期、ヨーロッパで最も有名なピアニストだったんだよ。

ピアノに革命をもたらした稀代のヴィルトゥオーゾの才能と誇大妄想

まずはこの曲を聴いてほしい。カルクブレンナーのピアノソナタ第1番だ。

確かにモーツァルトともベートーヴェンとも違う。掴みはオッケーだけど?って感じかな。そう、この「掴みはオッケーで仰々しいけど、中身は軽薄」っていうのがカルクブレンナーのキャラクターを象徴してるんだ。

確かにこれじゃあ、偉大なベートーヴェンとはとても張り合えないし、ショパンのように華麗でもないよね。でも、この軽薄な感じ、威勢よくハッタリをかましている感じが、カルクブレンナーのたまらない魅力なんだ。まさに19世紀前半とはこんな軽薄なスターが登場した時代で、ある意味でカルクブレンナーはロックスターの元祖なんだよ。

そして、この彼の魅力が最高に詰まっている19世紀前半の大傑作が、後で紹介する彼のピアノ協奏曲第1番なんだ。この協奏曲は今日あまり演奏されてないけど、僕は実はショパンよりも大好きなんだ。ここ、伝われ、そんな思いで今日は語っていくよ。

カルクブレンナーってね、現代ではマイナーな存在なんだけど、彼が生きた19世紀前半では一世を風靡したピアノのスーパースターだったんだ。それにね、ただのピアニストではなく、本当にユニークな人物だったんだ。彼は、自分の才能を信じて疑わない強い自信を持っていたんだよ。彼は自分がモーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンの後継者であり、この世に残った唯一の古典派作曲家だと信じていたんだ。

でもね、彼の自信はちょっと行き過ぎていて、時には誇大妄想的になることもあったんだよ。彼は、自分の音楽が最高だと思っていて、自分の演奏スタイルや作曲技術を他の誰よりも優れていると信じていたんだ。現代の僕らから見たら笑っちゃうよね。でも、それが彼の音楽に対する情熱と、常に最高を目指す姿勢の源だったんだね。

彼のこの性格は、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネによって風刺されるほどだったんだよ。ハイネは、カルクブレンナーの誇大妄想的な態度をからかっていたんだ。でも、彼のこの性格が、彼の音楽のユニークさや、彼の演奏スタイルの革新性につながっていたんだよ。

カルクブレンナーの生涯:才能と野心の火花

カルクブレンナーは、自分の音楽に対する自信を持って、常に新しいことに挑戦していたんだ。それが彼の音楽を、他の人の音楽とは違う、特別なものにしていたんだよ。彼の音楽は、彼自身の個性と情熱が反映されていて、だからこそ本当に魅力的なんだ。

こんな絵に描いたような19世紀的なピアノの天才の生涯とはどんなものだったんだろう。

まずはじめにね、カルクブレンナーは音楽が本当に大好きな家庭で育ったんだ。彼の家族は音楽一色で、子供の頃から音楽の世界に囲まれてたんだよ。だから、彼の音楽への情熱は、もう生まれた時から決まってたみたいなものなんだ。

カルクブレンナーはね、若い頃からその才能をバンバン発揮して、パリ音楽院で学んだんだ。パリ音楽院っていうのは、当時のヨーロッパで最も有名な音楽学校の一つなんだよ。ここで彼は、ピアノ演奏の技術を磨いたんだ。

そしてね、1814年から1823年にかけて、カルクブレンナーはロンドンで活躍したんだよ。ロンドンっていうのは当時、音楽の大都市だったから、彼にとっては大きなチャンスだったんだね。ここで彼は、演奏家としてだけじゃなく、名教師としても名を馳せたんだ。

彼の演奏がどれだけ素晴らしかったかっていうと、まるでピアノから魔法のような音色を引き出していたみたいなんだよ。彼の演奏はね、とても華麗で、聞いている人々を完全に魅了したんだ。彼の指先から流れ出る音楽は、聴く人々を夢のような世界に連れて行ってくれたんだよ。

でもね、ショパンやリストといった今日有名な天才たちが出てくると、カルクブレンナーは時代遅れになって忘れられちゃった。その誇大妄想な人柄だけが語り草になって人々の記憶にとどめられたってわけ。彼の生涯は、まさに才能と野心の火花がぶつかり合った成功と挫折の物語なんだ。

ショパンにパクられて忘れられたカルクブレンナーの業績

カルクブレンナーのピアノ奏法ってね、本当に特別なものだったんだよ。彼はね、長くて速いオクターブのパッセージを得意としていたんだ。これがどういうことかっていうと、彼の手はピアノの鍵盤の上を、まるで軽やかなダンサーのように動き回っていたんだよ。これは今日ではピアニストのお家芸になっているけど、実は元祖はカルクブレンナーだったんだ。

この奏法はね、当時としてはかなり革新的なもので、今日では19世紀のピアノ音楽でよく見られる技法なんだけど、カルクブレンナーが最初にこんな風に使ったんだよ。彼のこの技法は、後の世代のピアニストたちにも大きな影響を与えたんだ。彼の演奏スタイルは、その後のピアノ音楽に新しい風を吹き込んだんだよ。

想像してみてほしい、今日では当たり前になってしまったけど、「華麗なピアニズム」と呼べるものがはじめて世界にもたらされた瞬間のことを。

カルクブレンナーの奏法のもう一つの特徴はね、彼の表現力の豊かさだったんだ。彼の演奏は、ただ速いだけじゃなかったんだよ。彼は、速さと同時に、音楽の感情を深く表現していたんだ。彼のピアノは、喜びや悲しみ、愛や情熱を歌っているようだったんだよ。

カルクブレンナーは、ピアノをただの楽器としてじゃなく、感情を伝えるためのツールとして使っていたんだね。彼の演奏は、聴く人の心に直接語りかけるようなものだったんだ。こういう彼の特質はその後ショパンやリストといった天才たちによって完全に極められて、吸収されてしまった。でもね、ショパンやリストにもない魅力がカルクブレンナーにはあるんだ。次は、いよいよ、彼の最高傑作の魅力を語るとしよう。

「一世を風靡した稀代の誇大妄想男」の魅力が詰まったピアノ協奏曲第1番

カルクブレンナーのピアノ協奏曲第1番ってね、彼の才能がどっさり詰まった作品なんだよ。この曲は、彼の華麗なピアノ奏法と、その表現力の深さが完璧に融合されているんだ。是非、聴いてみてほしい。

何かに似ているなと思った人、いるかな? そう、ショパンのピアノ協奏曲に似ているよね。でもね、ショパンのピアノ協奏曲がカルクブレンナーに似てるんだよ。彼が元祖。実際、ショパンのピアノ協奏曲第1番はカルクブレンナーに捧げられてるんだ。皮肉にも、ショパンの作品が今日レパートリーとなってしまったけど、逆を言えばそれだけショパンがカルクブレンナーを研究しつくしたということでもあるんだ。

この協奏曲を聴いているとね、まずその壮大なオーケストラの音色に圧倒されるんだ。そして、ピアノが入ってくると、音楽が一変するんだよ。カルクブレンナーのピアノは、オーケストラと完璧に調和しながらも、独自の輝きを放っているんだ。

この曲の中でね、カルクブレンナーはその速いオクターブのパッセージを見事に披露しているんだ。もううるさいくらいにオクターブが出てくるんだよ。「ほら、こんなに弾けるんだ、すごいでしょ」ってカルクブレンナーがうるさいくらいに自慢してくる。今日では当たり前になってしまったから、そこが何ともいえないペーソスだけど、そのペーソスも含めて本当に魅力的だよ。ここね、ここ。

当時、ピアノの鍵盤を駆け巡る彼の指は、まるで魔法をかけるみたいに聴く人を魅了したんだ。もちろん、速さだけじゃないんだ。彼の演奏には、深い感情が込められていて、そのすべてが音になっているんだ。そこにショパンも含めてみんなが感動したんだよ。

え? 当たり前でしょって? いや、そうじゃないんだよ。今日、当たり前になった「ピアニズム」がここで結実したんだ。

特にこの協奏曲の中盤にあるソロの部分ではね、カルクブレンナーの感情表現が最高潮に達するんだ。この部分を聴いていると、彼の音楽が直接心に語りかけてくるような感覚になるんだよ。ベートーヴェンに比べて中身がないって? いや、そうじゃない。逆にベートーヴェンはカルクブレンナーのような表現ができない人だったと僕は思うよ。

僕は特に第3楽章が大好きなんだ。この楽章は本当にカルクブレンナーの独自の魅力が詰まっているよ。ショパンのほうが華麗かもしれないけど、こういう傾奇者の伊達男が誘ってくるイケイケな感じ、このカルクブレンナー独特の「19世紀的軽薄さ」は彼にしかない魅力だよ。これがたまらないんだ。

カルクブレンナーのピアノ協奏曲第1番は、まさに19世紀のピアノ音楽の魅力が詰まった作品なんだ。彼の技術と情熱が一つになったこの曲は、再評価に値すると断言するよ。

カルクブレンナーの音楽はね、長い間忘れられていたけど、最近になってまた注目されるようになってきたんだよ。特に彼のピアノ協奏曲は、新しい録音がリリースされたりして、現代のピアニストたちによって再発見されているんだ。カルクブレンナーの音楽は、今もなお多くの人々に影響を与えているんだ。

カルクブレンナーの生涯と音楽は、今日でも私たちに多くのことを教えてくれるよ。それじゃ、またね!

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